2011年01月31日

2010年8月頃のこと

夏休みは山から始まった

西穂高へ4度目の正直

もっとも過去3回は初冬だったりしたから

私的には退却も当然なんだけど・・・

丸山尾根、独標、西穂高

クライミングを経験しててよかたぁ(^_^)v

その先へは根性と度胸と慣れがないので

とてもとても!!!

スイスイ超えて行く人来る人を見送った

たぶん、いつかはないだろうなぁ・・・



予約日に、医療センターから貸し出ししていた

写真を持って厚生病院へ

2010年の「要精密検査」の根拠となった写真

2009年の「要再検査」の根拠となった写真

たぶん2007年の異常なしの写真

主治医はデッカイ虫目がねで丹念に写真を見ていた

それが判断の根拠かどうか分からないけど

私が自分の目がね越しに見ても

数年間に石灰化病片は確実に増えていた

「もう一度病理検査してもいいですか?」

主治医はあきらめきれない様子だった



詳しいいきさつは不明ですが

その当日夕刻には携帯が鳴り

「もう、分かってますよね?」

「えっ、何がですが?」

「明日、病院へ来れますか?」

「分かりました」



翌日

「ガンがでました。大変進行の遅いおとなし目のガンで

 病名は非浸潤乳管癌です。病片の範囲が広いので

 右乳房全摘出になります。再建されますか?」

乳腺外科の予約と形成外科の予約を入れて帰ったと思う



ネットで摘出と同時に再建手術が出来ること

筋肉でなく脂肪の再建方法があることを調べ

形成外科へ出かけたが

主治医は筋肉を使った再建の話しだけ

同時の手術は負担が大きいことだけの話で終った



次回の乳腺外科予約日は遊びすぎて予約時間に間に合わず

とりあえず電話を入れると主治医は

「手術の予定を決めるつもりでした」



あわてた私は急いで本屋へ行って

乳がんの本を数冊手にしていた。それは

どの本もセカンドオピニオンを薦めていた



覚悟が決まらない私は時間稼ぎに

「病理のセカンドオピニオンをお願いします」

「私が信用出来ませんか?」

「いえ、そういうことではなく病理の・・・」

「そうですね、乳がんは病理が全てですから。

 わかりました」



それから主治医は私のセカンドオピニオンの為に

名古屋の医療センターへ出向いたりされたようです



その間、私はたまたま友人夫婦から

山を始めたので山へ連れて行って欲しいと話があり

「実は乳がんで・・・」話をしたら

「つてがあるから愛知医大の先生を紹介してあげようか?」

「えっ、愛知医大?たぶん私が調べた限りでお腹の脂肪で

 再建ができるこの地方の病院は愛知医大だけなのよ」



何とか愛知医大へルートが近づいて来た感じがしても

何をどう、話を厚生病院の乳腺外科の主治医へ伝えて

愛知医大への紹介状を手にするか!

厚生病院のがん相談センターへ出かけました

愛知医大へ転医したい最大の要因は

右乳房全摘出の手術だけならどこも同じだろうけど

同時再建を問題なく受け入れていること

脂肪の再建が出来ること

経済的負担が軽いこと

トータル3時間ほどの時間はかかりましたが

ソーシャルワーカーの働きにより

乳腺外科主治医から

名古屋医療センターでのセカンドオピニオン受診と

愛知医大への転医を予約する運びになりました。





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Posted by 小春日  at 23:38 │Comments(0)日記

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